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陶芸家×遺伝性乳がんとの向き合い方──陶芸家 岡崎裕子<NAプロジェクトインタビュー>

公開日:2024.09.30

取材と執筆を藤森が担当している、『ステキ女性の人生から学ぶ!からだのこと』。今回は陶芸家の岡崎裕子さん。岡崎さんは二人の娘さんがいる中、若くして乳がんを経験された方でもあります。仕事、子育て、病気との向き合い方などを伺いました。

華やかなアパレル業界から未知の陶芸の世界へ転職

――初めのキャリアについて教えてください。


世界的に有名なブランド「イッセイミヤケ」に就職し、プレスとして3年働きました。仕事でフランスやイタリアへ行ったり、仲間にも恵まれて大好きな職場でしたが、自分の中にはずっと「モノづくりがしたい」という思いがありました。


【服を着る】という作業は、気持ちのスイッチを切り替えられますよね。人の生活や日常の気持ちに影響する“服”を作りたい…と、元々はデザイナーを志望していたんです。


プレスの仕事はモノづくりの一環ではありますが、全部を自分で作ることはできません。組織の中ではなく「最初から最後まで自分で物を作る仕事がしたい」と、働きながらずっと考えていました。


そうした自分の思いを掘り下げていき「どんな物を作りたいか」を考えていくうちに毎日の生活に欠かせない“器”に辿り着いたんです。

何のツテもない陶芸の世界へ

――どなたか、陶芸家の方のお知り合いなどはいたんですか?


それが全くいなかったんです。


会社が休みの日にまず「どうしたら作家さんと知り合えるか」などを知るために、東京駅でやっていた「地場産業商会」、今でいうアンテナショップみたいなものへ行きパンフレットをもらったり、色んなイベントに行って情報を集めました。


そうして分かってきたのは、陶芸家になるには

1.美大に行く

2.地場産業の後継者育成施設に入所する

3.陶芸家の方へ弟子入りする

という3つの方法だけでした。


美大を受験するには準備がいりますし、学費がかかるので「1」は無い。「2」も長年、地場産業(地元の産業など)に貢献してきた方しか入所できない…なので、これも無い。

そうすると、私に残されたのは「誰かに弟子入りさせていただく」という道でした。


――弟子入りの仕方とかも分からない状態だったと思うのですが…どのようにブレイクスルーしたのでしょうか?


はい。弟子になる方法が分からないので、「陶器市へ行けば作家さんと話せるかも!」と思い5月の連休を使って、焼き物の産地である益子(栃木県)と笠間(茨城県)で開催されている陶器市へ行きました。


焼き物についての本を色々と読み、パンフレットなどもたくさん見ていて作家さんたちの顔も覚えていたので、陶器市で何人かの作家さんとお話させていただきましたが、益子では弟子をとっている方に出会えませんでした。


次に笠間へ行った時に、そこでもパンフレットで見ていた「森田さん」という陶芸家さんが、ご夫婦でいらしたんです。奥様が優しい雰囲気の方で、先生の作品も好きだったので「私はこういうもので…陶芸家になりたいんですが、なるにはどうしたら良いですか?」と、思い切って聞いてみました。


残念ながら、森田さんにはお弟子さんがすでにいたので、弟子入りはできないとの事でしたが「6月に東京で個展を行う」予定だったので、そちらにお邪魔させていただく約束をしました。

「イッセイミヤケ」が道を開く

岡崎裕子さん

自社の服なので、当時23才でありながら、私は全身「イッセイミヤケ」を着てギャラリーへ伺いました。


若い女の子がイッセイミヤケを着て、陶芸の個展に来ているのが珍しかったようでギャラリーのオーナーさんに「あなたはなぜ、この個展に?」と聞かれ、ここまでの経緯を全部、お話しました。

実は、オーナーさんはイッセイさんともお知り合いで、そのギャラリーにイッセイさんも来ているよ…と教えてくれました。だから私の服にも、すぐ気付いたんです。


その後、作家さんたちとのお食事にも参加させていただくことになり、その席でオーナーさんが「森田さん、なぜ この子を弟子に取らないんだ?世界的なトップクリエーターの元で働いている若い子が入ることで、森田さんにとってもきっと良い刺激になるはずだよ」と、急に言い始めたんです。


森田さんはすでに弟子がいるから、これ以上雇えない…とおっしゃったんですが、「すぐに正式に弟子入りさせるのはお互いにリスクがあるのは分かる。でもやりたいと言ってるんだからまずは試用期間を設けて合わないと思ったら正式に弟子入りさせなければ良いんじゃないか」と説得してくれたんです。

実際、私は実家暮らしで貯金もあったので、最初から雇ってもらうと思っていませんでした。「掃除だけでも良いのでやらせてください!」と私からも森田さんへお願いし、【3か月の試用期間で様子を見る】…と言っていただくことができ、試用期間を終了した3か月後から正式に弟子になることができました。


「4年間も弟子入り、つらかったでしょう」「大変だったでしょう」と聞かれることも多いですが、周りの弟子仲間も同じ環境でしたし、そういうもんだと思ってやっていたので辛くなかったですね。

最後の半年は先生に推薦していただき茨城県立窯業指導所(現在の陶芸大学校)に入所し、先生から独立を認めていただき今に至ります。


器を作る時は、使った方が優しい気持ちになれたり、ほっこりするような作品を心がけています。私の器を使う方が、あたたかく彩られる日々になると良いなと思って作っています。

乳がん、トリプルネガティブ

岡崎裕子さんとお子さん
(写真は抗がん剤投与1回目から数週間後、長女の誕生日を祝っている様子)

陶芸家としての活動を続け、結婚し子どもも出産しました。そしてある時、左胸にしこりがあることに自分で気づき、近くのクリニックへ検査に行ったんです。次女の断乳中だったので(しこりは)母乳がつまっているのかなと最初は思っていました。エコーだけですぐに終わると思っていたら、マンモグラフィーも受けてくださいと言われ…検査をしていく時点で、これは明らかにおかしいと。


「二日後に乳腺外科の先生が来るので、もう一度来てください」と言われ、嫌な予感がしながら帰宅しました。次に病院へ行った際には針生検で細胞を取ったんですが先生が「私の経験上、画像診断でほぼ乳がんだと思われるので、結果が出るまで3週間かかりますが、それを待つ前に紹介状を書くので“どの病院にするか”を決めておいてほしい」と、告知をされました。


乳がんかも…とは想像していましたが、その日は針生検をしにいくだけの気持ちだったので告知をされてとても動揺しました。そして3週間後に伝えられたのは、乳がんの中でも治療が難しい「トリプルネガティブ※」というタイプ。調べれば調べるほど、悪い内容の情報しかない。


クリニックで結果を聞かされてから、紹介状をもらってがん拠点病院にかかるまでの間、不安で本当に苦しかったです。しかし治療に入るための乳がんの主治医の先生との初めての診察時、先生に「先生のご経験で、トリプルネガティブでステージが私と同じくらいの方で元気に過ごしていらっしゃる方はいらっしゃいますか?」と尋ねたら、「元気になっている人はたくさんいますよ!」と言っていただき、そこでやっと救われた気持ちになりました。


また、実際に元気になっているサバイバーと会えたことで不安で悲劇的な状況しか考えられなかったのが、前向きになっていきました。


――お子さんの反応は、どうでしたか


まだ2歳と6歳だったので、がんや病気について知らない状態でしたが、悪いイメージを持ってしまうと良くないので、「ママは胸に“わるいもの”ができちゃって、それをやっつけるために強い薬を体にいれなきゃいけない。それが理由で、髪が抜けたり体力が落ちたりするけれど、治すためだから心配いらないよ」と、母の体調不良は怖いことではないことを夫と一緒に伝えました。


闘病の中で、娘が不安がって泣いてしまう事もありましたが、副作用を抑える薬なども効いたため、日常生活を送ることもできたので良かったです。

ただ、大人の方が“がん”に対して悪いイメージが強く、病気の事を伝えると泣かれてしまい、まだ治療が効いているのかも解らず、ただでさえ不安な私が相手を慰める…というのが続いたため、それからは少数の人にしか言わずに治療をしていました。


ほとんどの乳がんタイプは、術後10年まで再発の可能性が高い期間として経過を診ますが、トリプルネガティブの場合は、5年で寛解(再発はしておらず、おさえられている状態)になり、私は5年過ごすことができました。


――「遺伝性乳がん」でもあったんですね


そうなんです。当時、遺伝性乳がんの検査は自費だったんですが、たまたま参加できる治験があり、その中で遺伝子検査をしてもらったところ確定しました。なので2017年9月に左胸の全摘出手術をし、2018年の7月に予防的手術として卵巣と右胸も全摘出しました。


――乳がんから一気に予防的切除まで行うにあたり、ショックではありませんでしたか


当時は「いかに自分の状況に適した手術と治療を行うか」に集中していたので、やるべきことを受け入れて行っている状態でした。また、近親者に乳がんだった人がいたので、遺伝性乳がんの可能性も薄々感じていたんです。解った時はショックというよりも、ずっとモヤモヤしていた「自分がなぜがんになってしまったのか」が解った気がして納得できました。


解ってからは遺伝性乳がんであることは「自分の体にいつ、がん化するか分からない【時限爆弾】を抱えているようなもの」だと感じていました。だからがん化しやすい右の胸や、卵巣をそのままにしておく恐怖の方が強く、予防切除の決断をしました。

病気によって変化した体と心

岡崎裕子さんの陶芸作品

術後の後遺症で一番大きいのは、骨粗しょう症ですね。卵巣を取った事で骨粗しょう症予備軍になり、ずっと治療を続けています。左胸の方は、リンパ節まで切除したので脇の下は感覚が痺れてマヒしているような感じです。ただ、左側をかばって右側を酷使してきたせいか、右の肩が最近とても痛くなっています。(乳がんサバイバーの皆さん、同じ悩みを持つみたいですね…)


5年経って分かったのは再発や転移を心のどこかで恐れて、この5年間は“好きなことをやりきれていなかった”んだな…と、自分の気持ちに気づきました。ただ、再発の可能性が高かった時期にサバイバーの仲間と出会えたことは本当に大きな支えでした。

若い人たちに伝えたいこと

岡崎裕子さん

「『なんか変だな…』と感じることが2か月続いたら、病院へ行って!」自分の直感を信じてください。

何かおかしいと違和感があっても“きっと違う”と、人は思おうとします。病院へ行って【何でもなかった】というのは“良い事”なんです。周りの家族や友達に話して「大丈夫なんじゃない?」と言われて納得しようとせずきちんと「病院や医師」に診てもらうことが大事です。自分の体の状態を知ることは良いことだし、それで何でもなければ心から安心して過ごせますよね。

“T-PEC子宮頸がんNAプロジェクト”とは?
ティーペックとNPO法人C-ribbons(代表:藤森香衣)は2021年より、「病気になっても一人で悩まない(Not alone)」をテーマとして、子宮頸がんの早期発見を目指す「T-PEC子宮頸がんNAプロジェクト」を始めました。子宮頸がんの疑問・不安、もし見つかった場合もサポート先の知識や情報を届ける活動です。
 
その取り組みの1つが「ステキ女性の人生から学ぶ!からだのこと」です。各分野で活躍する女性に、人生談、自分らしく生きるための秘訣、そして健康のことを、C-ribbons代表でモデルの藤森香衣さんがインタビューします。様々な女性の生き方・考え方に触れ、自分の心身の状態を見直す機会にしていただくことで、健診・検診の重要さを伝えていきます。

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陶芸家

岡崎 裕子(おかざき ゆうこ)

1976年 東京都生まれ。1997年株式会社イッセイ ミヤケに入社、広報部に勤務。3年後退職し、茨城県笠間市の陶芸家・森田榮一氏に弟子入り。4年半の修行の後、茨城県立窯業指導所(現:茨城県立笠間陶芸大学校)釉薬科/石膏科修了。2007年神奈川県横須賀市にて独立。

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■取材・文/藤森香衣
モデル活動、NPO法人 C-ribbonsを設立、代表理事を務める。T-PEC子宮頸がんNAプロジェクトで企画・取材・執筆を担当。

■取材・編集/大井美深
ティーペック株式会社の広報担当。T-PEC子宮頸がんNAプロジェクトを担当。

※当記事は、2024年9月に作成されたものです。
※当記事内のインタビューは、2023年7月に行われたものです。
※当記事は個人の体験談に基づくものです。
※医師の診断や治療法については、各々の疾患・症状やその時の最新の治療法によって異なります。当記事がすべてのケースにおいて当てはまるわけではありません。

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