取材と執筆を藤森が担当している『ステキ女性の人生から学ぶ!からだのこと』。今回は、経絡整体師・朝井麗華さんにお話をお聞きしました。「おっぱい番長」という名前と彼女の写真を雑誌やweb、テレビで見たことがある方も多いと思います。私も最初は「女性誌でよく見る人」と検索をしたところ、麗華さんのブログを発見し、読むうちに彼女の「志」を知りファンになっていました。ぜひ、皆さんにも麗華さんのお話を通して身体について考えていただけたらと思います。
目次
朝井麗華さんについて
22才 | 結婚、半年後に夫が末期がんの告知を受ける |
26才 | 夫が他界、亡き後 アロマセラピーの学校へ(セラピストに) |
29才 | 中国整体「推拿(スイナ)療法」と出会い、整体師となる |
31才 | 整体師として独立、半年後 東日本大震災があり被災地でボランティア活動を行う |
33才 | 初めてメディア出演以降、各方面から出演依頼が殺到する |
35才 | 初の著書『おっぱい番長の「乳トレ」』出版(その後、2年で著書11冊を出版) “日本一予約の取れない整体師”とメディアで呼ばれるようになる |
38才 | インプット(学び)の時間が必要だと考え組織を縮小し、5年ぶりに1人に 日本と海外を行き来する1年 |
39才 | 妊娠が発覚 |
40才 | 出産 |
41才~現在 | 新たなステージへ |
大好きな人と22才で結婚…その半年後、夫が末期がんに
この仕事についた理由は、夫を末期がんで失ったことがきっかけです。
私は22才で10才年上の男性と結婚し、大好きな人と共に生きる事がとても嬉しく、みんなに結婚生活を勧めるほど幸せでした。
しかし、結婚してわずか半年後、夫が体調を崩し40度の熱と咳が1か月以上も続きました。夫は医療関係の会社勤めだったため、知人の医師をハシゴし色々調べていましたが一向に症状は治まらず。
見かねた私は「これは大きな病院へ行った方が良い」と感じ、夫をひっぱり近所の総合病院へ。
そこでエコー検査をした結果、「肝臓に大きな影がある」と告げられました。でも、夫はまだ32才と若年でしたし、まさかそれが悪性の “がん”だなんて、想像するはずもなく。
さらにその腫瘍は直径12cmと6cmの2つがあり、肝臓がんの末期だと診断されました。
思い返すと夫はその1年前くらいから頻繁に「右肩が痛い」と言っていたのですが、それはがん腫瘍と何かしらの因果関係で神経の誤作動が起き、病巣がある部位から離れた場所が痛む「放散痛」だろうとの見解。こう聞いた時に、「随分前からすでに彼の体はSOSを出していたんだ…その時に気付いていれば!」と後悔先に立たずとはこのことを言うな、と感じました。
もっともショックだったのはこの時点ですでに「骨転移」をしていたため手術は不可能とされ、医師からは「もう治療などは何もできないのでお好きにお過ごしください」と言われ、さらには“余命2か月”とも伝えられました。幸せ絶頂だった結婚生活もつかの間、こうして突然、夫が“不治の病”として余命宣告をされてしまったんです。
整体師になった理由、見つけた2つの生きる使命。
病院から「何もできない」と突き放されても我々は諦めるわけにはいきません。
「何か手はあるはず!」と思い、私と夫は何でもやる覚悟で情報を集めました。しかし、今から20年前のこと。インターネットは今ほど普及していない上に情報の整備もされていない時代ですし、雑誌など巷のメディアには「誇大広告」「正しくない物」も多く混在しました。本当に効く物、本当に良い物に巡り合えるまでには相当な時間(とコスト)がかかり、「なぜ誰も正しいことを教えてくれないんだろう」と散々悔しい思いをしました。
情報収集に加え、彼の闘病中に私は元々興味のあったアロマセラピーの講座に通い「芳香療法」を習得。その後独学でも研究し、睡眠時にリラックスできる工夫を空間に施したり、身体に無害の日用品を手作りしたり。中でも天然精油を配合したオイルマッサージをすると夫はとても喜んでくれ、日課になっていました。
残念ながら私が26才の時に夫は35才で他界しましたが、余命2か月が結果的には3年半、宣告された命よりうんと生き長らえたのは、ひとえに、彼の命を他人任せにせず多くの情報を集め、できることを片っ端から試したことが功を奏したとは思います。
しかし、個人的に私がもっとも手応えを感じたのは、常に夫に寄り添い、見よう見まねでもハンドマッサージという“手当て”を施していたことです。彼の肉体のみならず精神を癒すことに大きく貢献したのではないかと思っています。(今だったら、もっともっと出来ることが多くあるのに!と思わずにはいれませんが…)
夫亡き後独り身となった私はまず、闘病に貢献したアロマセラピーの知識見分を深めたいと考え、専門スクールの門をたたきました。行ってみると知識だけでなくフェイシャルやボディといった実技もあり、アロマセラピスト資格を習得。
実はこの時点では、健康づくりのための知識は得たいが、マッサージなど直接人の体に施術を行うボディワーカーになることはまったく念頭になかったのです。しかし仕事としてスクールから紹介されホテルスパセラピストに従事したとき、充実感がありながらも物足りなさ(申し訳なさ)に打ちひしがれました。
なぜかって、顧客にリラクゼーションは提供できたとしても、身体の不調や不具合を改善するにはあまりにも自身の知識や技術が乏しく、何もできずに終えてしまうからです。その時、「もっと目の前の方のお悩みに寄り添える即効性のあるテクニックを身に付けたい!」と痛感(開眼)しました。あの瞬間が、私がこの先の人生を「整体師」であり続けることが決定した瞬間だったのか、とたった今、気づきました(笑)
その想いを胸に、29才でたまたま学んだ東洋医学に感銘を受けたことを機に、中国整体「推拿(スイナ)療法」のサロンで整体師に転身。当初アルバイトで始めた推拿(スイナ)は体の不調をみるみる改善でき、その即効性と効果の持続性は素晴らしく、学ぶほどにその魅力に取り憑かれていきました。
さて、夫の病気発覚後、私には決意した事が2つあります。
1つ目は「死ぬ病に至る人」をこの世から一人でも無くす。
2つ目は「健康のための正しい情報」を伝える人であり続けること
夫亡き後、職業や形は何であれ、この2つを自分の使命にして生きていこうと志し、この後様々な展開が繰り広げられましたがどんな時でもこれを軸にひたすら走った結果、今に至ります。
考えてもいなかったのに…「金無し・コネ無し」独立!でも、わずか3か月で予約はいっぱいに。
整体師となりしばらくすると、アルバイト先以外のフリー活動での顧客がどんどん増えていきました。
1年半後には、後者のお客様方から「アルバイトサロンの勤務日がある分、予約が取り辛い」と言われ出し、掛け持ちが難しくなっていたんです。皆様、「あなたみたいな人は独立するべきだ」「私たちのためにも独立してほしい」などと仰るけれど、現実は誰もそのためのノウハウもお金も提供してはくれません(笑)
私の人生で自分が独立なんて考えたこともなかったので何の心構えも準備も資金すらもありませんでしたが、石橋は叩かない性格が自分の背中を押し、お客様たちの声に押される形で、2010年秋、しぶしぶ個人開業する流れになりました。
礼儀としてアルバイト先からは顧客は1人も引き抜かず、独立当初は「金無し・コネ無し」そして、無計画に始めてしまったため、「予約無し」の状態でスタート(笑)最初は3人の友人が開店祝い(いわゆる付き合い)で来てくれたのですが、体が楽になったと感動し、「ずっと通いたい!」と次の予約を入れていってくれて。
そこから「すごい整体師がいる」との口コミで次々にご紹介が生まれる…この連鎖で、独立わずか3か月で予約はいっぱいに。また、タレントさん、芸人さん、アーティスト、マスコミ関係…など芸能やメディア業界にも口コミであっという間に広がっていきました。
東日本大震災、こんな時こそ自分に何か出来ることは!?南三陸町へのボランティアへ!“手当て”が被災者の支えになった
しかし独立後、手放しに順風満帆だったわけではありません。
独立わずか半年後の2011年3月の東日本大震災。
東京でも人々は大混乱していましたし、予約は一度全部キャンセルになりました。そんな中でも空いた枠に他の方のご予約が入ったりと、施術のニーズは多少ありましたが、不安定な世の中で先々の客足の見通しも付かず…。
見えない明日の不安にじっとしているより、こんな時こそ自分に何か出来ることはないか!?と奮い立ち、震災後10日目から2週間、南三陸町へのボランティアに参加し、避難所で救援物資の整理や配給を行ったり、避難所の方々へ施術もさせていただきました。(避難所の体育館のステージでスピーカー片手に「私は整体師です!マッサージするのでご希望の方はお声がけください!」と叫んだのは少し恥ずかしかったなぁ)
そこでとても大きな気付きがあって。今でも深く印象に残っているのが、「長引く避難所生活で底冷えするし、ずっと腰が痛くて毎日全然眠れなかったのが、昨日あなたにマッサージしてもらったおかげでここへ来て初めて朝まで眠れたのよ」と施術をさせていただいた方に翌日声をかけてもらえたこと。「こんな時でも私がお役に立てる事があった!しかもそれが、この道を志すきっかけとなった“手当て”だった!!」と気付かせていただけた瞬間、どんなに嬉しかったことか。
余談ですがその後、震災からしばらく経ってボランティアでマッサージ団体がその土地を訪問したことがあったそうなんですが、その時に「あの時のお姉ちゃん(私のこと)の方がうんとうまかったよ」と語られていたとも聴き、やはり、【もっとも辛い時に、直に手を当て、寄り添うこと】が絶大なパワーを持つことを実感しました。
この経験を語ると多くの人に「よくそのタイミングで被災地に行ったね」と驚かれました。当時、震災直後で確かにまだ現地までの道路も整備されておらず、高速道路もガタガタ、ボランティア制度も整っていない中自力で行ったので、何がそんなに自分を突き動かしたのかと後から自分に問うと、それはやはり亡き夫との経験から培った「2つの決意」でした。毎日「今日、私はそのための行動をとれているか?」を軸に生きているので、この時も迷うことなく行動できたんだろうと思っています。
予約が途絶えないサロンの理由は?目の前の一人ひとりに全力で関わる!全ては夫を亡くして決意した志から
震災ボランティアから戻り、サロンのご予約状況も元通りになると、それ以降顧客が途絶えることは一度もなく、常に常連様からまた新たな方へと、多くのご紹介を頂き続けています。
サービス業、サロン業を営む多くが頭を悩ませるのが集客と言われていますが、私は一度も困ったことがありません。なぜこんなにも多くの方々に支えていただけているかというと、それはおそらく私が技術だけでなく「お客様との信頼」を築いてきたからだと思います。独立当初、予約は【24時間365日】“ご用命あればいつでもお受けいたします!”のスタイルで受け付けていました。
なぜ、そこまでするかというと「つらい体を何とかしてほしい…」という方たちへ『お客様ファースト』を貫くためです。もっとも、まだ駆け出し整体師にも関わらず、ごまんといる施術者の中から私へご依頼くださるんですから、身が空いているのにこちらからお断りするなんてそんなの10年早い!とも思っていました。私の顧客は忙しい方が多いため、たとえ元日だろうが早朝4時であろうが、お声がかかれば「はい!大丈夫です!」と二つ返事でお引き受けしていました。
どうしてそこまで?と思うかもしれませんが、全ては夫を亡くして決意した
「死ぬ病に至る人」をこの世から一人でも無くしたい
「健康のための正しい情報」を伝える人であり続けたい
という志があるからです。
当時まだ私の活動でこの2つを果たせるコミュニティは顧客だけ。
ならばまずは目の前の一人ひとりに全力で関わる!このような不規則な日々でも、常に『何のため?』を自分の心に問い、志したことに従事できていると感じられる日々には充実感がありました。
『日本一予約の取れない整体師』メディア取材や出演急増!初の著書『おっぱい番長の「乳トレ」』も
独立して2年後の33才で初めて有名な雑誌やwebサイトに出たのをきっかけにあれよあれよとメディア取材依頼が増え、雑誌、テレビ、ラジオなどへの出演が増えていきましたが、顧客の施術も変わらず行っていたため、施術だけだった日々よりも忙しさに拍車が。
更に2年後、35才の時に初の著書『おっぱい番長の「乳トレ」』を講談社から出版し、大ブレイク。殺到するメディア出演や講演活動などをこなしながら変わらず施術も行い、毎日2~3時間睡眠で、とにかく必死でしたがおかげでたくさんの方々に私の活動を周知いただけましたし、結果的にわずか2年間のうちに著書を11冊も出すことができました。
そして私のもっとも誇れる特徴は、独立当初から現在まで、顧客のリピート率はほぼ100%なこと。この連鎖でありがたくも年々予約待ちの方々が増え、独立して3年目には2年待ち、それからあれよあれよと【予約5年待ち】となり、いつの間にか『日本一予約の取れない整体師』とメディアで呼ばれるようになっていました。(しかしこれは決して誇れることではなく、せっかくご希望をいただいてもお受け出来ない状態が長く続くほどに皆様に申し訳ないという気持ちと、自分の未熟さを実感するばかりです)
インプットの時間をつくる!留学や勉強、学びたかったことを手中に!
そんな日々はとても忙しく、特にメディアでの活動以降アウトプットのみに奔走する5年間を駆け抜けるうちに、本来学びたい事や研究したいことに少しも着手できないことに、どうにも窮屈さを感じるようになっていきました。
私には、そろそろインプットをする時間が必要だ!でも忙し過ぎてその時間が取れない…
ならばこの状況を変えよう!と決め、すぐに環境を変えることを決意。
予約やメディアへの露出を減らし、サロンも縮小して38才で5年ぶりに1人に戻り、日本と海外を行き来する日々に。海外でしか学べないことやリサーチのため、行きたかった国々へ!特に、推拿(スイナ)について本場の中医師から教授を受けるため上海の中医薬学大学へ留学したり、ハワイ大学で人体解剖実習を経験できたことは大きな学びとなりました。
またプロデュース商品が海外で賞を受け、授賞式でヨーロッパへ行ったり、ずっとコンプレックスだった英語留学にも挑戦したり(結局、英語だけは身につきませんでした…)、インプットの1年を過ごしました。
新たなスタートを決めた矢先に…妊娠が発覚
久しぶりに多くのことをインプットすることができ、「よーし!1年自由にさせてもらったし、また通常モードに戻ろう」とサロン物件を借りてお客様方にアナウンスしようとしていた矢先・・・
なんと妊娠が発覚!私にとっては青天の霹靂。予期せぬ初めての妊娠にその後の体調がどうなっていくのか予測もつかず、妊娠~出産後と結局さらに2年、施術の人数を増やせないまま(提供できるのはごく限られた少数のみ)の時が過ぎました。
妊娠~出産後はこの予想に反した結果と不安定な体調に苛まれ、仕事や活動に足止めを食らっている気がしてならずヤキモキしました。ただ、出産を経験したこと、母となったことと年齢が40代となったこともあるのか、それまで勢いで突き進んできた様々な経験が、やっとまとまりつつあるようにも感じました。
志した2つの使命を軸に人の健康を促進したいという思いは昔も今も微塵も変わりませんし、夫をがんで亡くしているがゆえに、死に至る病にはなんだって心が動く。
でも、中でも女性にもっとも多い「乳がん」においては「おっぱい番長」として多くの女性の胸に携わってきた私がとくに貢献できるのではないか、そして増え続ける罹患率を何とか減らすための活動をしたいと考えるようになりました。
整体師としてのスキルアップ、“身体におきていること”は、それ以前に必ずマインド(心)が影響
現状“身体におきていること”は、必ずマインド(心)が影響しています。
身体にゆとりがない場合、当然心にも余裕がありません。現代社会はあまりにも心と身体を別物として切り離す傾向にありますが、それらがバラバラでは治るものも治らないということが分かってきたので、私は両者を繋げる整体を行っています。
病や不調の声を聞く事で、お相手の魂が求めていることへの橋渡し役(身体の声の通訳者とでも言っておこうかしら)をさせていただけたら本望だ、と最近は感じて施術に当たっています。
そして今でももちろん2つの志は変わらず、世界中の人が病気に至ることなく未病の状態で健康の大切さに気付いてほしいし、どなた様も「死ぬ病に至らせない!」と毎回思いながら、施術や情報発信に当たっています。駆け出し当時は施術のお客様にしか関われませんでしたが、今は本やメディア、SNSなどから広く声を届けられるようになってきたことを大変ありがたく感じており、今後ますますその輪を広げていきたいです。
メッセージ:人生はどれだけ本気かで変わります、自分に制限(枠)を作らず、とことんやって下さい!
あなたの“好き”なことは何ですか?“やりたい”ことは何ですか?
遠慮も我慢も一つもいらない。
自分に制限(枠)を作らず、とことんやって下さい!
『何でもできる自由』は、若い時の“特権”です。大人になればなるほど、制限に縛られ、やりたい事から遠のいてしまいがち。(本当は年齢関係なく皆、常に“自由”なんですが)
人生はどれだけ本気かで変わります。意識が行動力を変え、周囲の人を変えるからです。出来ない理由を並べる人は、いくらもっともらしいことを言っていたとしても所詮、本気でないだけ。そして、手前みそですが私の2つの志のように、常に立ち返れる原点が明確にあればあるほど、どの道へ行ってもブレることはありません。
よく「自分軸」とは言いますが、それは「原点」のことじゃないでしょうか?さらに、常に自分の心に“なぜ、やるのか”を聴いて、今日も少しでもその原点に関連する行動ができたかどうか?と振り返るくせをつけると、目に見えるもの、見えないもの、あなたをサポートするたくさんのエネルギーが集まり、まさに100人力!で進んでいけますよ。
“T-PEC子宮頸がんNAプロジェクト”とは? ティーペックとNPO法人C-ribbons(代表:藤森香衣)は2021年より、「病気になっても一人で悩まない(Not alone)」をテーマとして、子宮頸がんの早期発見を目指す「T-PEC子宮頸がんNAプロジェクト」を始めました。子宮頸がんの疑問・不安、もし見つかった場合もサポート先の知識や情報を届ける活動です。 その取り組みの1つが「ステキ女性の人生から学ぶ!からだのこと」です。各分野で活躍する女性に、人生談、自分らしく生きるための秘訣、そして健康のことを、C-ribbons代表でモデルの藤森香衣さんがインタビューします。様々な女性の生き方・考え方に触れ、自分の心身の状態を見直す機会にしていただくことで、健診・検診の重要さを伝えていきます。 |
経絡整体師/ 株式会社キレイカンパニー代表
朝井 麗華(あさい れいか)
ゴッドハンド・カリスマ整体師と顧客を始めメディアから評されるテクニックが瞬く間にタレントや美容業界へ広まり現在施術は5年以上待ちの”日本一予約の取れない整体師”と呼ばれる。
女性誌では見かけない月がないほど、メディアでも大人気。
著書『おっぱい番長の「乳トレ」』(講談社)、『おっぱい番長・朝井式 筋膜ゆるめ』(KADOKAWA)、『病気がいやならわきの下をもみなさい』(幻冬舎)、『水毒を溜めない人は美しい』(大和書房)他は累計18万部を超え、TV・ラジオで紹介する簡単なセルフケア方法は大人気。
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■取材・文/藤森香衣
モデル活動、NPO法人 C-ribbonsを設立、代表理事を務める。T-PEC子宮頸がんNAプロジェクトで企画・取材・執筆を担当
■編集/大井美深
ティーペック株式会社の広報担当。T-PEC子宮頸がんNAプロジェクトを担当
※当記事は、2024年7月に作成されたものです。
※当記事内のインタビューは、2022年11月に行われたものです。
※当記事は個人の体験談に基づくものです。
※医師の診断や治療法については、各々の疾患・症状やその時の最新の治療法によって異なります。当記事がすべてのケースにおいて当てはまるわけではありません。
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